福泉寺について

 
福泉寺は、阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗のお寺です。
永禄年中(1558-1570)、およそ450年前、大本山鎌倉光明寺の檀家として深く阿弥陀如来を信心していた「進藤和泉守」(しんどういずのかみ)が当地に土着し、その息子「隼人正」(はやとのじょう)が父の菩提を弔うため、「相蓮社空誉上人恵然大和尚」(そうれんじゃくうよしょうにんえねんだいかしょう)を開山に迎え、草創したとされています。 幾多の時を経て再建された鐘楼堂の鐘の音が毎朝厳かに鳴り響き、地域の信仰の要として、海と山に囲まれた静かな集落に建つお寺です。
 
 
◆ 名 称 龍圓山 福泉寺
◆ 住 職 松原 尚樹
◆ 副住職 松原 大悟
◆ 宗 派 浄土宗
◆ 宗 祖 法然上人(1133年〜1212年)
◆ 開 宗 承安5年(1175年)
 
◆ 教 え  阿弥陀仏の平等のご慈悲を信じ
                 「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて
            人格を高め、社会のためにつくし
             明るくやすらかな毎日を送り
             極楽往生を願う信仰です。
 
◆ お 経 お釈迦さまがお説きになった
       『無量寿経』
       『観無量寿経』
       『 阿弥陀経』
         の浄土三部経をよりどころとします。
 


一切忙虫魚墓と子育観音像の石仏

 
当寺の入口には、とても珍しいとされている虫や魚の供養塔『一切忙虫魚墓』や『子育観音像』の石仏が祀られています。 

 一切忙虫魚墓

 
虫や魚、生ける物すべてへの憐みの心を表す墓石となります。

  
一切忙虫魚墓

 子育観音像

 

観音さまの懐に子供を抱いている立像『子育観音像』には、諸説ありますが、『子安マリヤ観音』として隠れキリシタンの信仰の対象であったとされています。キリスト教徒が弾圧されていた時代、安産や子育て祈願の信仰に見せかけ、実は、観音像を聖母マリヤ、そして抱えている子供はイエス・キリストに仮託していたとの考察もあるようです、実際に立像には、以下の①〜④の要素が垣間見えます。
いずれにしても、子宝を得られるよう、また子の無事安産を願う象徴として古くから親しまれてきました。
 

①エンゼルが翼を広げるような形で左右に広がる
②全体像が仮託十字架の形になっている
③左手の小槌がT十字形で柄の下部には十字架が彫ってある
④天の神を表す円が刻まれている等、石仏内に特徴を残す

   
 
子育観音像
 

薬師如来像

 
当寺より徒歩5分ほど離れた「上諏訪神社」の小道を登ると、小さな薬師如来堂がございます。縁起は不明ながら、石仏の薬師如来像には宝暦(1751〜1764)の文字が刻まれており、約270年の仏さまということになります。
薬師如来は、西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して、東方浄瑠璃界(いわゆる現世)の教主と言われ、阿弥陀如来は死後の平穏を司る仏さまに対して、薬師如来は現世での苦しみを取り除き安泰を司る仏さまとされております。
当寺では33年に一度、薬師様の御開帳がございます。本堂内に祀られている薬師如来像のお厨子の扉を開き、この石仏も本堂にお連れします。
御開帳の日程や薬師如来堂へのアクセス等、お気軽にお問い合わせ下さい。

石仏の薬師如来像(本薬師様)

 

堂内の薬師如来像